きてます

親戚のおばさんが家庭のことで悩みがあるということで神様に観てもらうことになった。私は暇そうにしていたので一緒に連れて行かれた。

ちょっと大き目の普通の家の中に入ると、応接間が待合室のようになっていてたくさんの相談者が待っていた。どの病院いっても治らなかった病気の息子さんがいる人とか、家庭内不和に悩む人とか。和やかな感じで「どうしたんですか?」とか話しかけてくる。気の会う人同士はその場でいろいろと情報交換している。「あそこの病院で治りましたよ」とか「いい先生がいますよ」とか。親密度でいうと、「神様に観てもらう待合室」≧「医者に観てもらう待合室」≧「空港搭乗口待合室」みたいな。

「あんたも観てもらいなさい」とおばさんが言ったけど「俺は何も無いからいいよ」と私は答えた。本当は、怖いだけなんだけど。本当に見えているかどうかとかは全然どっちでもいいのだけど、嘘でも真でも、どっちにしたって、なんか怖い。よくみんな、大丈夫だよなあ(おばさん、あんたすげーよ)と思ったのだけど、私自身があまりに悩みがなさすぎるからだろうとも思った。「なんか怖い」というのは別に宗教色があればなんでも怖いというものではなく、なんといったらよいのかなあ、説明せずに「なんか怖い」とかいうと語弊があることはわかっているのだけど、なんともわからんのだなあ。これが。