あり?

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/w/15/index.html

だいたい良いんじゃないですか。結果論的には。というか私も随分結果論で書いてるよなあとちょっと痛かったりします。

ちょっと目盛っとく。

ちょっとだけ感想。

勉強ができるということは賢い子だということ。だから、何でも上手く対処できるのかと思ってしまう。実際にすべてにおいて要領よくできる子もいる。けれども、学力と生きる力(生活力)はまったく別物と考えた方がよいだろう。そのことは、学校ではもちろん、塾でも教えてくれない。ということは、家庭で教える以外にないということだ。

家庭の事情は様々で限界がありそうです。最低限の躾くらいまでだと思います。それに親が頑張っても子どもがどう受け取るかはわからない。立派な生活力をつけようとしようがどうしようが、愛情を感じなければなんもならんし、かえって反発される。愛情を注いでいるつもりの「つもり」の部分は子どもに見抜かれてしまったりする。ある程度家庭の事情を総合的に捉えて、これこれこういうわけで皆苦労したんだなって納得できるのはかなり後になるのでは。社会での生活力は家庭以外の周囲の社会のあり方で身につく部分もあるのでは。

もう一つ感じるのは、プライドの高さ。学校の成績が良いと、先生や友だち、そして親から高い評価を受ける。子どものころから、褒められることに慣れ過ぎてしまうと、「自分は完ぺきな人間だ」と思い込んだとしても無理はない。周りの大人たちも優等生というレッテルを張り、過度な期待をしてしまう傾向があるのではないだろうか。

うちの大学の周囲を見るに、「自分は完ぺきな人間だ」と思い込んでいる人なんて会ったことがないです。一部超ポジティヴ思考の人はいるけど、それは、自己の不完全さゆえ努力するというポジティヴ思考です。それ以外は、寧ろ自信のなさすぎる人が多いような気がしています。私から見て、すげーなあと思う人たちは、むしろ自省的でありすぎる故になんとなく不安を抱えてはいるが、日々の生活や勉強などやることはきちんとやっていくみたいな淡々としたありようです。ま、私は友達が少ないんでなんともいえないのですが。

あ、ちょっとたんま。

子に反発されることはむしろ良いことであると私は思っています。そこでいざこざ起こすのもまた家庭のそれぞれの事情の中では良いことかと思います。そこでの対処の仕方という点はけっこう重要で、以後も反発できるようならなかなかよろしいのではないかと個人的には思ったりします。それで親元を出て行って、家庭の外で生活したり関わったりして既成事実を積み上げた後に、分かり合えたりすることもあります。家庭での教育と社会性とに関係あるのかどうかはよくわからないような気がしたりします。外に出て行きやすいか行きにくいかというのはあるかもしれませんね。どこにもいけず、距離をとることもできず、お互い無反応というのは、確かにきついかもしれないです。だからといって、親子関係だけに着目しすぎると。。。

社会とうまくかかわるには人間関係が大切。そして、他人とうまく付き合うにはコミュニケーション能力が欠かせない。まずは家族や友人とのコミュニケーションがきちんととれているかという点も大きなポイントになりそうだ。

こうならざるを得なくなって、これはこれで良いとは思うのですが、うーんちょっととりあえずここまでということで。