帰りました

空港に着いたらすぐバスで出雲大社へ向かう。
バスの窓から呑気に外を眺めると、初めてなら誰でも*1まず驚くだろうと思うんだけど、茶色っぽい屋根瓦。出雲市に入る前まではだいたい私が見ていた範囲で、5割かそれ以上の割合で瓦の色が明るい茶色だった。うちの田舎ではほとんどお目にかかったことはない。さらに不思議だったのは、比較的新しく建てられた家でもこの瓦が採用されているということ。というわけで、出雲大社まで家と瓦ばっかり見てて全然飽きなかった。あれは石州瓦というやつであってるのだろうか。

http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/ad/bj2005/keikan/case1.shtml

地元の人に聞きたかったんだけど、何かのシンボルかもしれないし、田舎では聞いてはいけないこともいろいろあったりするので、そういう事項に該当する場合は周囲をもっと観察してから聞くほうがよいのかもしれないと、そのときは思った。こういうときパソコン持っていってたらホテルで調べられるのにとか思った。今回はもちろん持参していなかった。で、結局今しがたちょっとぐぐってしまった。

出雲大社に到着。イメージとは随分違う。平成の大遷宮があったそうな。
もちろん祈祷してもらった。うちらは個人だっただけど、団体さんと一緒になってしまい、缶詰状態で祈祷してもらうことになった。太鼓のすぐ隣だったんで振動が凄かった。ただ、住所氏名願を読み上げるときに、団体さんは代表者だけであとは「その他38名の〜」とかって省略されるので時間としてはむしろ短くなった感がある。それから、参道の途中で、おかんの写真をたくさん撮った。自分のは一枚だけ撮った。

その後ホテルに戻ってご飯食べて温泉に入ってうは〜睡眠。

翌日。小泉八雲記念館に行く。先生曰く「日本の最上の美的産物は、象牙細工でもなく、青銅製品でもなく、陶器でもなく、日本刀でもなく、驚くべき金属製品や漆器でもなくて、日本の婦人である。」(封建制の完成より)とか展示室のプレートの説明書きに載ってただけだけど。あと、欧米には栄養で既に負けてるんだよ。栄養とって独創力高めなさいとか(これは教師時代の日誌だったかな)。だんだんいい加減になってきたな。

それと、八雲が学校の先生になるときに県知事と交わした契約書(当時でいうと条約書)がおもしろかった。とても簡潔なのだが、過不足なく出来上がっていて非常に美しさを感じた(手書きのかくかくしたカタカナと漢字で構成されている見た目の美しさも含めてだけど)。原本はガラス越しに在って、見開きの2ページ分しか見られない。手でめくれないのが悔しい。ああいうのを捲るのが快感だといっていた先生がいたけどちょっとだけほんのちょっとだけわかるような気がした。だから、残りの条文はコピーしてあるやつを読んだ。

最初のほうから順に読んでいくと、対価的な関係に立つ教授義務と報酬支払い義務、不履行の場合の解除要件が異常に簡潔に書かれていて、一番最後の条文に何が書いてあるのかというと、「宗教に対する得失利害に関することを論ずべからず」。いやメモとってないんで原文どおりではないかもしれないが、そういう趣旨のこと。

現代でもそうだとは思うけど、場の条件次第では、契約書ってのはこうも簡潔に書けるものなんだなということ。それから、宗教に対する最後の一条は、なんかもわっと来たんだけど、どう解釈していいかすら帰ってきた今でもよくわからない状態である。それまでの条項に教授内容の制限は一切出てきていないし、最後に非常に簡潔にぽつーんとくるこのタイミグがよくわからん。こういうスタイルがその頃は一般的だったのか?

そのあともいろいろとうろうろしたんですが。。。

もわっと眠たくなってきたんでとりあえずここまでということで。

*1:そうとは限らんな。見ているとこが全然違う場合もある。