帰省

関連:http://d.hatena.ne.jp/shootan/20061207

図書館と郷土資料館に寄った。あまり時間がなかったのでメモも取らずざっと町誌(ウィキペディアはここからそのまま書いてたなあ、さっき調べたけど)をめくる程度だった。うちの町は村が五つ寄って町になった。町になる前のそれぞれの村の名前が今でもほとんど部落名としてそのまま残っているのでわかりやすい。明治初期、町になる直前、それぞれの村に戸長役場があったときは、戸長役場所在地はそれぞれの村(現部落)を代表するお寺だった。五つの村が一つの町になったときの町役場の所在地は、庁舎が新設されるまでは、町の有力者の邸宅の住所と同じであり、その建物を借りて事務を行なっていたようだ。東部・南部・西部というのは町誌には特に触れられていなかったのでどうやらこれは町に新庁舎ができた後の便宜的な区分けだろう。東南西部を結び合わせたちょうど中心が現役場の所在地と一致するのはそういうことなのだろうと思う。

それから会堂の位置についても町誌には触れられていないが、実際にそれぞれの会堂を見に行くと同じようなところに建てられているような気がした。「同じような」というのは何と表現したらよいかわからないのだが、二又路がすこしくずれて膨らんだような形をして少しカーブした幅広の道路沿いにあるか、または、二又路の脇にあるか、だいたいどちらかだった。ただ、これはぼろぼろの会堂についていえることで、明らかに真新しい会堂は、整備されて比較的交通量が多い直線道路沿いにある。

固有名詞を書かないからなんのこっちゃわからないと思うのだけど個人的には少しすっきりした感じ。あと、私が子どものころよく探検しに行った山が実は古墳だったというのもわかった。ただし出土品なし、調査もほとんどなされていない状態らしい。そういうほったらかしの古墳は町にわんさかあることもわかった。私が遊んでいたその山は、田んぼが縦横無尽に広がっている真只中にぽつんと存在していたので、妙に目立つ。そしてすぐに頂上まで上れてしまう。今見るとこれは明らかに古墳だとわかる。円墳。しかし今の今まで学校の先生からもそんなこと聞いたこともないし自分でも気づかなかったしなあ。

町誌には弥生時代のことも書かれていてこれがなんだか新鮮。「おい、うちの町(地域)に弥生時代(歴史)なんかあんのかよ」というような感覚を私はどこかでもっていたらしい。つまり由緒あるところ(有名な何かがあるとされているような場所など)にしか歴史を感じないという傾向をどこかで持っていたということがかなりはっきりわかった。歴史と言う言葉をここで使うのはちょっと違うような気もするけどまあまあ。

今回の帰省は、高知の親戚の子(受験生)に勉強を教えに行くというのがメインだったのであんまり実家にはいられなかったけど、久しぶりに釣りをした。1000円の竿と700円のリールと100円の錘と85円の釣り針と300円の朝鮮ゴカイ。海は寒すぎ。お目当てのカレイを釣り上げたのでさっさと撤退した。

そのあと先生(中学校の国語教師)家に行って年末大掃除を手伝った。私だったら一読して捨ててしまうような雑多な資料やプリントまでもファイルに保存しようとしているのでそれだけでも半日かかった。几帳面な人だあ。読みながら閉じていたんだけど部落差別など(道徳・人権)の資料が興味深かった。

「先生、この資料、人権の大切さというのがいきなり起点になってますけど、人権ってなんなのかとか普通の権利とどう違うのかとか、公私の区分を前提にした調整といったような憲法の枠組みの中での人権の在り方・実態については少しも説明しないでもいいんですか?」

憲法の話になるわけ?」

「ならないんですか?」

とか雑談しながら整理整頓。「これが憲法だ!」朝日新書を読んだことがあったからこういう風に質問してみたくなったのかもしれない。関連する部分を引用しておく。

…子どもには教えられない話?

杉田 憲法を文章化して確定した場合には、得をする人と損をする人が出てくる。でも、損をする人も憲法がないよりは得だということで、暗黙の同意をしているかぎりにおいて憲法は維持されているとおっしゃいましたよね。私も基本的にそう考えるんですが、そのような議論というのは、どこか憲法を外在的にとらえていて、たとえば憲法のない星からエイリアンがやってきて、「人間は憲法というものを使っているようだ。それはどういうものなのか。自分の星の人びとに説明するとすれば、調整問題を解決するためだと言えよう」という話のような気がするんですね。それって、かなり身も蓋もない話であって、こういう話を小学生とか中学生とにしたほうがいいのかどうか、ちょっと考えてしまうわけですが。これまでの小学生や中学生、あるいは高校生に対する説明は、そうではなくて、「憲法とにかくいいことが書いてあって、人類普遍の原理が書いてあって、正しいことが書いてある」とか、あるいは、「これをやめると大変なことになってしまう」とか、そういう形でいわば説得する、もうちょっと強い言葉で言えば動員するといいますか、ルールというものを教え込む面があって、それによって実は秩序が成立している面があるのではないか。
人びとがいまのお話のような、かなり冷めた認識のもとに、憲法とともに生きていくことは可能なのか、それとも憲法については、いろんな意味での神秘化が必要なのか。普遍的原理でも、社会契約という名の神話でもいいんですけど、何か神話的なものによってでもある程度奉っておかないと、実は調整機能も果たせなくなってしまうんじゃないか。そのへんについてはどうでしょう。

長谷部 そうですか。私はおよそ憲法というものを説明しようとすれば、「調整問題の解決である」という説明しかないと思うんです。世の中にはいろいろな内容の憲法がある。なぜ憲法によって国家が運営されており、かつそれに人びとは、黙従かもしれませんけれども、従っているのかを説明しようとすると、どうしてもそうなる。
ただ、その憲法を選ぶと、なかには有利になる人もいれば、不利になる人もいるかもしれない。それでもこの憲法に従うことが正しいんだ、と言おうとすると、いま杉田さんがおっしゃったような、「これは人類普遍の原理である」とか、「この憲法に従わないと大変なことが起こってしまうぞ」とか、そういう議論をすることになるのかもしれませんが。
ただ、反面から言えば、日本国憲法に書いてあるようなことは、実は多くの国の憲法に書いてありますから、「正しい内容なんだからこれに従いなさい」という理屈は、突き詰めていくと、われわれが尊重すべき憲法は、厳密にいまの日本国憲法でなくても実はいいんだという話になりかねないんですね。だから最後の最後は結局、調整問題の解決にすぎないものなんだ、という視点に行き着くんじゃないかとおもいますけれども。…

私が杉田さんの質問に答えるとしたら次のようになると思う。

憲法(人権も)を神秘化することは、ルールを教え込む(規範意識の向上)ことにはそれ程繋がらないのではないか。これは相手が中学生でも大人でも同じような気がするから、特に子どもに対してそういう便法を考える必要もないと思う。神秘化してルールを教えるというのは、憲法の場合、やはり違和感を覚える。憲法憲法でよいのではないか。実態をまず描いてみせることが先でないと、本来制度運用に活用できたであろうような現にある社会性すら破壊する危険もありうる。身近なプラスマイナスを含めた関係性に気づかない、または、気づきにくくなる。

それになんというか、ばれてます。素晴らしいことが書いてあると言われても、社会が実際にそのように感じられないならば、不安は除去されるどころか増大します。調整問題の解決にあくせくしている実態を生き生きと描き出すことができるかどうかというのが勝負じゃないのかと思ったりもするんですよね。あとこれは理由にはなりませんが、憲法が予定している解決の枠組みと実際の処理のあり方がそもそもそういう規範意識の向上のさせ方とは相容れないような気がしています。これは、私が法学部生だからそう思うのかもしれませんが。

えーと話は日記に変わって、高知で土佐黒潮鉄道に乗ったとき珍しいアナウンス?を聞きました。

「安全運転のため運転手に話しかけないようお願いします」

田舎に帰ったら確かに〜

「用もないのに私に話しかけないでくれるようお願いします」と言いたくなる場面は東京にいるときよりも多いけどその分笑えるというのもまた確か〜