ちょっとだけ

http://d.hatena.ne.jp/NairFess/20061015#1160853091

を読んでちょっとこのあたりを思い出しました。

「クリトン」岩波文庫より引用します。

ソクラテス:では、人はどんな場合にも不正を行なってはならないのだね。
クリトン:むろんならない。
ソクラテス:では、多衆が考えるように、人はまた不正に報いるに不正をもってすべきでもないのだね、なぜといえば人はどんな場合にも不正を行なってはならないのだから。
クリトン:明らかにそうすべきではない。
ソクラテス:じゃ重ねて訊くが、クリトン、人は誰かに禍害を加えてもよかろうか、それともわるかろうか。
クリトン:それは無論わるいにきまっているさ。ソクラテス
ソクラテス:では、どうだろう。人が禍害を加えられたときに、禍害をもってこれに報いるのは、多衆の信ずるように、正しかろうか、それとも正しくなかろうか。
クリトン:断じて正しくない。
ソクラテス:実際人に禍害を加えるのと、不正を行なうのとは、少しも違いがないからね。
クリトン:それは本当だ。
ソクラテス:して見ると人は、何人に対してもその不正に報復したり禍害を加えたりしてはならないのだね、たとい自分がその人からどんな害を受けたにしても。よく用心したまえ、クリトン、この事を承認する結果、君が自分の信念に反することを承認することにならないように。*1というのは、この信念を抱く者、または抱くであろう者と抱かぬ者との間には、まったく協議の余地がない。彼らは、対手の主義決意を見るとき、互いに軽蔑し合わずにはいられないのだ。だから、君もまたよくよく考えて見たまえ、僕に賛成して同意見になれるかどうかを。そして、不正を行なうことも、不正に報復することも、われわれが禍害を加えられたとき禍害をもってこれに答えることによって自ら防御することも、すべて正しくないという原則から出発して、僕達の協議を進めてもいいかどうかを。それとも君は変説して、この原則に対して賛成を拒むかしら。僕だけでいえば、僕は昔も今も依然としてそう信じているのだ。が、もし君に何か別の意見でも出来たのなら、それをいって教えてくれたまえ。もしまた、君の意見に以前と変わりがないのなら、話の続きをきいてくれたまえ。
クリトン:別に変わりはない、僕も同意見だ。さあ話してくれたまえ。
ソクラテス:では話を続けよう、いや、むしろたずねよう。人は、ある他の人に対してその正当なる権利として承認を与えたことは自らもまたこれを尊重すべきだろうか、それとも彼を欺いてこれを無視してもよかろうか。
クリトン:尊重すべきだ。
ソクラテス:では、その結論から推して考えて見たまえ。国家の同意を得ずに、ここから逃げ出せば、僕たちは誰かに、しかも最も加えてはならないものに、禍害を加えることになるのか、それともならないのか。また僕たちは、自ら正しいと承認したことにあくまで忠実であるといえるのか、それともいえないのか。
クリトン:ソクラテス、僕はその問いに答えることができない、それは僕にはわからないのだから。
ソクラテス:まあこんなふうに考えて見たまえ。ここから逃亡しようと―といっても何といってもかまわないが―している僕達のところへ、国法と国家とがやって来て、僕達に近寄ってこう訊いたとして見るのだね。「ソクラテスよ、まあ、一ついってくれ、いったいお前は何をしようとしているのだ。お前は、お前がしようとしている行動によって、われわれ法律と国家組織の全体とを、お前の力の及ぶかぎり、破壊するというちょうどそのことを企図しようとしているのではないかね。それともお前は、一度下された法の決定が何の実行力もなく、私人によって無効にされ破棄されるようなことがあっても、なおその国家は存立して転覆を免れることができると思っているのか」と。クリトンよ、僕達はこれに対して、またその他この種の問に対して、何と答えたものだろうか。これが問題になるのは、一度下された判決は依然として有効でなければならぬと命じており、しかも今や没落に瀕しているこの法律をわれわれが破棄しようとでもしたら、それの弁護のためにいうべきことは、誰にでも、特に弁論家には、沢山ありそうに思われるからだ。それとも僕達は彼らにこう答えたものだろうか。「国家こそ私達に不正を行い、正当な判決をくださなかったのだ」と。これが僕達の答えなのか。それともどういったものだろうか…

*1:強調は引用者